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還暦を迎えて『不二』令和4年2月号

  • 執筆者の写真: 横山孝平
    横山孝平
  • 8月13日
  • 読了時間: 3分

心御柱を太敷き立て 


 甲辰年を迎へ、私の生まれ年からの十干十二支も一巡した。生年の昭和三十九年は、大東亜戦争の敗戦から十九年。この年に開催された東京五輪は、その災禍からの復興の象徴だつたのだらう。一方で東洋の奇跡ともいはれた高度経済成長は、時に光化学スモツグによつて、のちの小学校生活のなかでは、外での運動を制約される日もしばしばあつた。


「大ビルは建てども大義は崩壊し、その窓々は欲求不満の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモツグに曇り…」(『英霊の聲』三島由紀夫)


 私が生まれる以前に「もはや戦後ではない」と『経済白書』には謳はれていたが、これまでも戦後といふ言葉は様々な場面で使はれてきた。しかし、それがいかなる戦ひの後であるのかといふことからは、多くの人が目を背けたままである。


 戦後の体制は、過去の一切を忘却するか、または否定することによつてのみ維持を可能としてきた。思考の停止どころではない、みづからが記憶を喪失させてしまつたのだらう。記憶がないのだから、過去に対する責任もない。ゆゑに、獣と同様、一時を自由に生き、腹が減れば奪へばよい。この思考はまさに、いまを表出してはゐないか。


 しかしこの現代にあつて、大東塾一統は十四烈士の、そして私は尊攘義軍十二烈士女の慰霊顕彰を続けるのは何故であるか。その意義は、さきに挙げた戦後の風潮に搦め取られない思想継承の発露であると断言できる。そしてこの行為は、さう遠くない時期に多くの人々に本当の記憶を取り戻させることになるだらう。


 いま、この戦後といふ永く使い古された言葉が、戦前といふ謂に取つて変はられてゐる。ロシアとウクライナ、そしてイスラエルとパレスチナ・ハマスの戦争。後者は宗教的側面を多く孕んでゐるが、それでも通常兵器を用ゐた戦争である以上、これを早期に止める術をもたなかつた時点で、国連はその存在意義を失つた。これもまた、戦後を象徴する国連、その戦勝国の支配する体制の終焉ともいへるのだらう。これを国際連盟の最期におきかえることが可能であれば、まさにいまが戦前となるのか。


 これらの戦争の背後に見え隠れする米国と、中国の思惑に翻弄されるかたちで取り上げられるのが、日本における「新しい戦前」を象徴する台湾有事となるのだらう。


 これらの諸問題に対し、日本は西側自由主義陣営の一員であるといふ立場を通してゐる。ただ米国の隷属下にあるに過ぎないのだが、資本主義の終焉を感じながらも、自由主義経済を中心に獣の世の中は動いてゐる。いまさら、国連における「敵国」といふ立場に拘泥する者もゐない。揺れ動く世界情勢に搦め取られ、まさに経済だけの極東に漂ふ島国になつてはゐないだろうか。


「日本は地政學的にいつても、東方の始めであると共に、同時に西方の西の最後であるわけです。太平洋を越えて、アメリカに隣りする西の最終であると共に、海を越えてシナ大陸に接する東の出發点であるわけです。したがつて人類、世界の結び目に位してをるわけです」(『天皇論への示唆』影山正治先生、世界維新の問題・下)


 いまこそ、西洋のをはり、東洋のはじまり、であるといふ地政の自覚において、わが国に世界を覆うための心御柱を太敷き立てる気概をしめす時であると強く思ふ。まづ戦後体制といふ固い岩盤、岩戸を開く。その本にあるのは、皇国の無窮を熱祷し、思ひを継ぐ人あらばと思つて下さつた先人の思ひを我がものとすることである。

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